数年前の自分と出会う驚き

パソコン作業をしていたら

どうやら数年前に書いたと思われる記事が出てきました

 

ビックリ!!

今も同じような事を考え続けているのだと

トホホな感じです。。。

 

 

 

「心の教育とは」

 

私が七田先生の著書に出会ったのは4年程前だと記憶しています。

それは「右脳への興味」からでした。

当時、発達障がいとされるお子さん達と関わるお仕事をしていました。

私には「この子たちには障がいはない」という感覚があり、その感覚を理解して貰うには言葉では到底無理でした。

それでも、このお子さん達に差を与え、社会と隔離するような感じの教育はどうしてなのだろう?

私に出来る事で、沢山考え、沢山の事もやってみました。

その中で「右脳」の働きにたどり着いたのです。

まずは自分から。という事で、七田先生の著書を読み「大人の右脳開発」教室に行き、実際トレーニングをしてみたりしました。

レーニングよりもだいぶ前から、瞑想を習慣化していたのですが、右脳を学ぶうちに、瞑想と右脳の関係性にもたどり着く事が出来ました。

七田先生の考える「認めて ほめて 愛して育てる」は、私が運営している「親子瞑想教室」の考え方にも共通点があります。

親子で瞑想をしていると、同じ空間にいて、それぞれが自立しています。

お互いを認め、信頼している姿だと、私は捉えています。

「認めて ほめて 愛して育てる」

この言葉から、私がイメージしたのは「笑顔」でした。

笑顔は、表情のゆるみであり、全身のゆるみであり、精神のゆるみでもあります。

究極のリラックス、脳のリラックス状態です。

ゆるみがあるからこそ、人は赦しを与えられると思います。

他人を赦し、社会を赦し、笑顔が溢れたら、それは愛でしかありませんね。

「心の教育」として、最高のサインは笑顔だと思うのです。

我が子の成長を赦しの心で見ていると、自然と笑顔が溢れるのかもしれません。

逆に、気付いたら怒ってばかりいたという事も、またよくある事。

七田先生の「こうすれば、子育ては難しくなるよ」という著書の中の言葉は、私には、非常に素晴らしい視点だと感じました。

なぜなら、子育てを難しいと感じている人に「親御さんの在り方がお子さんを苦しめているのですよ」と全うな事を言われたら、日々、一生懸命に子育てをしている親御さんには非常に酷な宣告だと思うのです。

七田先生の考え方は「こうすれば、子育ては難しく出来るんだよ」

そう言われたら、笑って、その話を聞き入れて、かつ「それって私やってるかも」と軽やかに言葉に出せると思うのです。

中には、「こうすれば。。。」という言葉に、簡単には思考を変える事が出来ない人もいますが、「私だけじゃないんだ」と心が軽くなってもらえたら、そこから変化が始まると思います。

我が子に夢中になっているからこそ、一生懸命に子育てをしているからこそ、笑顔でホッとする時間が、今の親御さんには必要なのだと感じるのです。

親御さんの心をいかに軽くできるか。

これからの教育にも、必要な視点だと感じます。

軽やかに子育てをするには、なるべく早い段階で知っておくといい事を伝えているのが七田式ではないでしょうか。

「こうすれば、子育ては難しく出来ますよ」は、ユーモア溢れる、とても愛のある気づかせ方だと思います。

親子瞑想教室で、一番の壁は、親御さんの「この子は静かにしていられない」という親の思い込み。

実際やってみると、2歳のお子さんでも、お母さんと同じ空間にいて静かにしています。

座り続けるのは難しいですが、静かな空間で遊びながら大人しくしています。

目を開けた時には、我が子と目を合わせ、お互いでニッコリ。

先日、七田のレッスンを見学させていただきました。

1歳のお子さんが目を閉じ、呼吸に意識を向ける姿。

1歳にして、自分を信頼する姿に見え、しばし言葉を失い、感動しました。

自分を信頼しているから、どんどん色んな経験を吸収していく。

自分を信頼する事を身に付けるのは、生きていく上での「心の教育」

「心の教育」とは「今のあなたが大切」という想いを親が子に渡す。

安心を渡してあげる事なのだと思います。

私は瞑想をする事で、自分に安心を与えています。

ただそこに座り、呼吸をしていていい。

安心し座る事すら出来ない国があり、子ども達がいます。

安心していながらも、世界の環境に思いを巡らせる事が出来る子。

「なぜ、勉強するのか?」の答えが、「いい学校に行き、いい会社に入り、あなたの人生が楽になるため」と教えられる教育だったら、その子の未来はどんなものになるのか?

学校や会社、外側から安心を受け取るのではなく、その子自身が安心を渡せる人になる。

「世の中の役に立つ仕事をするため。人を喜ばせるため。今、勉強した事を世の中に貢献するために使う」

どれだけの大人が、胸を張って子どもにそう言えるのでしょう。

私にも自信がありません。

外側に安心を求めて生きてきたから、そうなってしまうのでしょう。

勉強の目的意識が「私が楽になるため」と「世の中が良くなるため」では、エネルギーの広がり方が大きく違います。

「自分さえ良ければいい」が芽生えると、最初はどんなに小さな想いでも、やがて際限なく膨れていくものです。

やがて社会に無関心になる。

心の教育にはなっていかない。

「世の中がよくなるため」が芽生えると、最初はどんなに小さな想いでも、やがて無限大にひろがり、思いやりから発する行動につながる。

社会に無関心ではいられなくなる。心の教育であります。

今の日本に必要な子どもたちの生き方だと思います。

自分の存在に自身を持って生きる事ができる。

心の教育がなされた人に触れた時、人は人に心から感謝や感動をするのかもしれません。

世界情勢として、大小様々な格差が生じている今日。

そんな今だからこそ、自分を信頼し、他を尊重し、赦す心を持って生きられたら、自然と笑顔が溢れる社会になるのではないかと思います。

そのお手伝いが出来るように、私は子ども達を信頼し、尊敬し、愛していきたいと思います。

「血のつながりは最たるものではない」

これは、我が子を留学で海外に出した時に感じた大きな気づきです。

血のつながりはなくても、どの子も等しく、私は認めていきたいと思っています。

今回「心の教育とは」という事を考えながら、私自身の子育ての振り返りも楽しくできました。

 

これは、七田式の学習を指導するお仕事をしようとした時に提出した文章です。

何事も、自分の目で見て、体験しないと氣の済まないたちなので、やってみたのですが、これがなかなか私には厳しくて断念しました。

 

子供のころから、感受性が強く、人の氣持ちが読み取れる場面が多々あり、学童保育の支援員をしていた時と同じく、子供たちからの【苦しみ】を感じ取ってしまったのです。

 

子供たちの苦しみを感じ取ると、もう私一人ではどうにも出来ないので、その場を去る事しかできません。

 

誰かの苦しみを

少しでも軽くできる場所を

海の近くで創りたいと思い続けるのです♡